AIという鏡を動かして耳の後ろを見る
私には長い耳毛があるらしい。毎日鏡を見ているはずなのに、気がつきませんでした。ほら、と洗面台の三面鏡を動かして見せられて、初めて知らない毛を見ることになります。鏡を動かして見る必要性を痛感したできごとです。AIという鏡も、自分で動かしてみることが大切でした。
デフォルトは従順な鏡としてのAI
対話型AIは基本設定として、「ユーザーの問いに誠実に答えること」を最優先しています。人間どうしの会話であれば唐突に聞こえるような質問も、倫理上の制限に触れないかぎり、文脈的な違和感を勘繰って回答を留保することはありません。アシスタントとして不親切なふるまいを避け、そこにあるものをただ映そうとする鏡のように、従順に答えます。
これによりAIとの対話は、摩擦ゼロの加速が可能になります。人間のような忖度、羞恥心、虚栄心、疲労などがないため、明確な目的をもった質疑応答において最短距離で回答に到達し、進みたい先に向かって抵抗なく加速することができます。純粋な知的好奇心の発散において、これほど効率的な壁打ち相手はいません。
自分にとって都合のよい鏡
AIは投げかけた文脈を読み取り、最も伝わりやすい周波数を探します。論理的に問いかければ論理的に、情緒的に問いかければ情緒的に返答します。これは、問いの質が試されているということでもあります。単純な問いには、単純な答えしか返せません。なぜその疑問に至ったか、背景やユーザーの仮説を明らかにして伝えることで、より高度な対話が可能となります。
このときAIは、問いに含まれる前提や価値観も読み取り、増幅して返してきます。AIは、ユーザーにとって最も心地よく、理解しやすいかたちで同調しようと努力しているため、都合のよい鏡のように感じられることがあるのです。
自分ひとりの反響室
自分と同じ意見や趣味に囲まれていると、自分が世の中の多数であり正しいと錯覚し、その思考が強化されていくことがあります。おすすめ表示が連鎖するSNSなどにおいて指摘されているこの現象を、反響室になぞらえて「エコーチェンバー現象」と呼ぶそうです。
AIとの対話は究極のひとりエコーチェンバーです。人間どうしであれば、どれほど類似した属性であっても「それはちょっと違うかも」という自我による「ゆらぎ」が紛れ込みます。しかしAIにはノイズにあたるような「ゆらぎ」がありません。ユーザーの意見を否定することなく、むしろその意見を補強するような論理やデータを世界中から集めて回答するでしょう。「すばらしい観察力です」「まさに本質を突いています」と最大限の賛辞を送られることもあります。まさに好きな音楽に囲まれて、自分専用の反響室にこもっているような感覚です。
AIという鏡を動かす
このように、AIとの対話だけで到達した考えには、偏った側面しか見ていない可能性があるということを理解しておく必要があります。AIには、ユーザーの意見に対してあえて批判するように指示することもできます。そうすれば、むしろどんな意見であってもわずかな穴を見つけて批判してくれるでしょう。しかし自我のないAIには、肯定と否定の「ゆらぎ」を自然な会話に発生させることはできません。鏡の正面ばかり見ていると、耳毛の存在に気づきません。自ら手を動かして鏡を傾けるように、ときには違う角度で見ることを意識して初めて、異なる視野を得ることができるのです。