横浜開港史に学ぶAIとの向き合い方
アペルザの本社は横浜港の近くにあります。この地で創業したことは、横浜の歴史にも縁を感じてのことでした。通勤時や休み時間に歩いているだけでも、いくつもの史跡に出会うことのできる町です。今回はその横浜が誕生するいきさつを追いながら、現代につながる示唆を考えてみたいと思います。
開港を定められた地は神奈川
1858年、日米修好通商条約により貿易港として開くことを約束されたのは、長崎、新潟、兵庫と、神奈川でした。この神奈川とは、現在の京浜急行電鉄・神奈川駅付近にあった神奈川湊のことです。
当時、東海道五十三次の宿場町である神奈川宿は、港も日本全国へと船が行き交う集散地で、まさに陸と海の物流の要でした。当初は品川の開港を要求していたアメリカの総領事タウンゼント・ハリスも、ここであれば交易の拠点にできると、神奈川の開港で合意したのです。
神奈川を避けて横浜「島」をつくる
一方で、江戸幕府大老・井伊直弼は条約に調印したものの、参加していない交渉で決まった神奈川の開港には納得していません。重要な物流拠点をいきなり外国に開くことを避けようと考えます。
条約の調印や将軍の後継ぎ問題に揺れた幕府は、このとき反対する勢力への弾圧(安政の大獄)を決行し、さらなる反発を呼んでいました。神奈川のような往来の多い場所に外国人が現れることで、まさに尊王攘夷を叫んでいる武士と衝突する懸念があったのです。幕府はこれをおそれていました。そこで代替地として選ばれたのが、現在のみなとみらい線・日本大通り駅付近にあった、横浜です。
当時、横浜は数十軒が漁業と農業を営む小さな村でした。神奈川宿との間は小高い野毛山と大岡川が阻み、新田が埋め立てられたばかりの沼地です。また現在のJR京浜東北線沿い、首都高速横羽線の位置には、その後に派大岡川となる水路が掘られていました。
さらに、横浜の整備を進める幕府は、南にあった中村川を海側に延長して堀川を造り出すことで、横浜を川と海に囲まれた島とします。あわせて、現在のイセザキ・モール東側の入り口にある吉田橋を、水路を渡る関所として設けました。関所の内側にあるエリアは、ここから現在に至るまで「関内」と呼ばれるようになったのです。

(現在の地図に重ねた横浜開港時の位置関係)
激怒するハリスへの言い分と既成事実
こうしてまさに出島のようなかたちに成形された横浜ですが、開港直前にこれを知ったハリスは激怒します。条約で定めたのは神奈川であって、横浜ではない。このもっともな抗議に対して、幕府は何食わぬ顔で反論を並べます。
「横浜村も神奈川領の一部であるから、条約違反ではない」
「東海道沿いは交通量も多く危険なため、外国人を守るための開港場である」
「既存の町である神奈川宿には、外国商人のために建物を立てる土地がない」
「すでに横浜には全国から商人が集まっており、貿易の準備が進んでいる」
「そもそも神奈川湊の付近は遠浅のため、西洋の大型船は着岸できない」
横浜は神奈川よりも海底が深く穏やかな良港でしたが、大型船が着岸できるほどではありません。幕府の言い分は横浜を開港場としたいゆえの既成事実が並びました。議論の傍ら、野毛山を削って東海道へと続く「横浜道」を突貫工事でつくり、横浜のもともとの村民を現在の元町エリアに移住させたうえで、次々と商館を建造します。何もない沼地では外国の商人からも不満が出るだろうと、現在の横浜公園付近には娯楽施設として「港崎遊郭」まで建設しました。また国内に対しては横浜を経済特区として開放することで、後に最大の輸出品目となる絹糸の商人たちが続々と集まりました。
こうして憤るハリスを横目に横浜の準備を強引に推し進めることで、1859年7月1日、ついに横浜港が開港を迎えることになります。
幕府の思惑を超える日本変革へのトリガー
内憂外患のこの時代に進められた「横浜開港大作戦」。しかしここから、横浜という隔離された特区は幕府の思惑を超える化学反応を引き起こします。全国から一攫千金を夢見て集まる日本の商人、開港と同時に乗り込んでくる外国の商人。彼ら民間の熱量によって横浜はあっという間に発展し、日本全国の生活をも変えていくようになります。後に明治初期の横浜が与えた影響を振り返る文献がありました。
「西洋文明の移入は明治初年の人心を最も刺激して、新日本を世界開化の光明へと導いていった。今日の流行が、銀座や道頓堀から始まると同じように、横浜居留地こそ当時流行の源泉地であった。」
(大日本雄弁会講談社「明治大正昭和大絵巻」1930年、キング第七巻第一号付録)
食文化や娯楽、インフラに至るまで、全国へと広がった西洋文化は「横浜ことはじめ」とも呼ばれます。幕府の強引かつ後ろ向きな保身の手法が、日本を次の時代へと進化させるきっかけとなったのです。
外国からの「黒船」に翻弄されながらも、最終的には自らの生活を豊かにするものとして取り込み、発展させていく。現代のAIをはじめとしたテクノロジーへの向き合い方にも通じるところがありそうです。